鹿児島県福山は黒酢(くろず)の生まれた町です。福山の豪商・厚地次郎右衛門と中国と・・黒酢が生まれたわけは?!

「薩摩藩天保の改革にみる、新説・くろずの歴史」  

鹿児島大学 原口泉教授「薩摩藩天保の改革にみる、新説・純玄米黒酢の歴史」鹿児島大学 原口泉教授


福山の豪商・厚地次郎右衛門

 薩摩藩の天保の改革を支えた福山の豪商、厚地次郎右衛門の存在に着目してみます。厚地家には藩主斉興が家老の調所を従えて何度か足を運んでおります。厚地次郎右衛門はもともと商人ですが福山郷の役職の頂点、郷士年寄にもなった家(士成商人)です。町人から武士へ、それほど薩摩藩への貢献がだれよりも大きかったと推測されます。貢献とは莫大な献金。黒砂糖や綿の取引の他、金融も行っていていました。厚地家の取引先には(実質的には融資先と言って良いですが)都城島津家や小松帯刀の家、宮之城島津家などがありました。そして琉球の役人たち(琉球王国)への融資も行っている借用証文が厚地家には残されています。薩摩藩は琉球王国を通して中国との貿易を行っており、中国との朝貢貿易は厚地家の融資によってまかなわれていたと言っても良いくらいの大きな貢献でした。
 その厚地家のある福山で生まれた福山酢となれば藩の全面的な関与、産業振興の大きな流れから誕生したと考えるのが当然でしょう。(何しろ酢の元になる米の農政改革と、今も福山各地に残る、この時期の黒酢生産に用いた古いかめ壷の薩摩焼製造、この両者における筆頭責任者が調所広郷公であったことも、その傍証となりましょう。)代々郷士として身分が確定したのは1792年です。米3千石を調達し献上したり、木曽川治水の際にも献金しています。正直な商売姿勢で非常に安い価格でいろいろな品物を売っていました。繰綿商売も行っています。繰綿(くりわた:綿繰り車にかけて種を取り去っただけで、まだ精製していない綿。)は南北戦争のときに世界的に暴騰し、薩摩藩はそれを買い占め上海に輸出することで倒幕資金を得たという話は有名ですね。

 都城島津家との取引も関係しています。都城島津家は4万石以上の大きな家ですから、一町人から豪士年寄という福山郷のトップまで家格が上昇するということは、都城島津家の口添えがあったとも考えられます。都城島津家は福山に造船所をもっていました。また、家中では家格が一所持ですから、鹿児島市滑川に広大な都城屋敷があり、領主(当主)は1年の半分を鹿児島で暮らしていました。鹿児島と福山と都城に屋敷があり、その中間地点が福山なわけですから都城と鹿児島との人・物・情報の大きな行き来は、厚地家にとってもメリットがあったことでしょう。

 もう一人の豪商、薩摩藩の浜崎太平次は、当時、近世実業界の三傑と呼ばれ、蝦夷(えぞ)・函館にまで支店を持つほどでした。篤姫の婚礼も浜崎太平次の資金援助がなければ考えられなかったとも言われています。その浜崎太平次の持つ寒天工場が都城に隣接する山之口と高城にあり、幕府に内密で寒天が作られていました。それを貯蔵する蔵が都城島津家の竹之下お蔵にありました。寒天の製造には良質な酢・要するに福山酢が欠かせません。寒天製造に不可欠な良質の福山酢は薩摩藩にとって貴重で欠かせないものであったと考えられます。良質であることを藩からの要請で必要とされ造られたのが福山酢なのです。鹿児島と都城の間には厚地次郎右衛門という豪商が存在し、米処都城からの物資の運搬ルートがあるわけですから、福山へ米を運び、その帰りに福山酢を都城に運び、高城と山之口郷で寒天を大々的に製造、都城の蔵に一旦納められて、それを福山に運び、琉球経由で中国に輸出されていた。そのような物流の構図ができてくるわけです。薩摩藩の琉球貿易、黒砂糖の生産、小松帯刀にさえ融資をしていた厚地家。福山郷の厚地家を通じて、薩摩藩・都城島津家~琉球王国~小松帯刀家といった要の人物が全部つながっていきます。そして薩摩藩の天保改革を行った調所広郷の懐刀・機動力であった浜崎太平次。彼はルソン島にも支店を持っていましたので、東南アジアにも販路をもっていたと考えていいかもしれません。広く中国・東南アジアに向けての販売網を持つ浜崎太平次が大規模な寒天製造工場を経営し、幕府に隠密裏に行われていたとてつもなく大きなビジネスが薩摩藩にもたらいた恩恵は多大なものでした。天保改革も幕末の明治維新の道程も、厚地・浜崎の2人なしでは語る事はできないでしょう。

 また、厚地家は琉球館に出入りする商人でもありました。琉球館は中国の福州と鹿児島(現在の鹿児島市立長田中学校)にあり、琉球王国の貿易の出先機関でした。そこには中国北京に留学したり使節として赴いた事のある琉球の役人、本場の北京料理を知ってる人たちがいたのです。酢は中国料理に使う調味料で欠かせないもの。その琉球館の出入りの商人が厚地次郎右衛門。黒酢と福山との運命をここでも感じずにはいられません。

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原口泉教授が新たに提唱する、福山黒酢の歴史についてご紹介します。