純玄米黒酢の醸造所の歩み
重久盛一酢醸造場
戦後の一時期において風前の灯となった「黒酢」造りの伝統を、今日まで伝えて来たのが「重久盛一酢醸造場」です。
この地に最高級の純玄米黒酢を造ろうとの夢に燃え、純玄米黒酢造りの技術をみっちりと修行した「重久盛吉」。
その頑固一徹の父に、子供の頃から純玄米黒酢造りの技術を厳しく叩き込まれたのが、「重久盛一」その人です。
「世界一美味い酢を造れ! どんな世の中になっても自然本来の味を失っては駄目だ。味良し、体に良し、の伝統を守れば、喜んでくれる人が必ずいる。」
と、口癖のように聞かされたそうです。
盛一は、戦中戦後を通して伝統の福山の黒酢を守り続けたのです。
しかしながら戦後間もない頃、食糧難の時代に玄米の入手が困難となり「重久盛一酢醸造場」当主 重久盛一は、黒酢の原料である玄米を自ら田んぼで作り、 福山の玄米黒酢の伝統を守り続けてきました。
純玄米黒酢の最大に危機は、昭和30年代前半に密造酒の疑いがかかり、国税局から黒酢の出荷禁止に追い込まれましたが、 先人(当時の黒酢組合の方々)が、国に働きかけ、もろみ製造免許を取得することで純玄米黒酢消滅の危機を乗り越えることができました。
それが今日の純玄米黒酢造りへと繋がっております。
現在「重久盛一酢醸造場」は「マルシゲ」の屋号を使い、柔らかい味を表現しています。
フルネームを社名にしているのは珍しいことですが、「福山の純玄米黒酢」と言えば「重久盛一酢醸造場」の酢であるという自信と責任を明確 にする為、自分の姓名を使っているのです。
先人の残した生活の知恵をそのままに、昔ながらの製法を代々伝えていくことを使命に醸造しているのが、こだわりの純玄米黒酢と云える奥深いルーツなのです。
<現在の作業風景>